信玄袋と合切袋ー受け継がれる袋物ー

袋物の歴史は『古事記』の燧袋に見られるように「物を包み、運ぶ」という原始的な方法から始まり、服装や時代の変化に合わせ、多様な形を生み出してきました。甲州印傳も合切袋・信玄袋といった袋物の発達と共に様々な袋が作られました。
大正時代に書かれた『日本嚢物史』によると江戸時代までは物を手に提げて持つ習慣がほとんど無く、明治の初め頃から信玄袋が用いられたとあります。その後流行し、当時の写真、絵や文章にも描かれるようになりました。
信玄袋は底マチのある袋物です。武田信玄との関連は甲冑入れとした、弁当入れとしたなど諸説あり、定かではありません。明治期には大型のものが多く、旅行用として用いられていたようです。信玄袋は形の変化から「千代田袋」「藤原袋」「菊袋」とも呼ばれ、明治30年頃には女性用の華やかな袋物として愛用されました。
合切袋は口紐のある縦型の袋物です。元は「合財袋」と表されたとされ、金銭などの財を入れました。江戸時代の辞書『俚言集覧』には「身に携帯するものを一切入るゝ袋をいふ」とあり、細々した身の回り品、一切合切を入れる袋とする現在の使用と変わらないことがうかがえます。
今回は信玄袋と合切袋を特集展示しています。これらは大きく変わらぬ形で令和の時代の生活や人々にも愛用されています。流行や時代に想いを馳せながら、洒落た模様、工夫された口の括り方などにもご注目いただき、時代を超えて受け継がれる袋物をご鑑賞ください。
【信玄袋と合切袋-受け継がれる袋物- 令和5年12月2日(土)~令和6年3月3日(日)】
※休館日令和6年1月1日・2日